前編を見て(原作も大好きだけれど映画も。「3月のライオン」前編)からひと月半。
ようやく後編を見に行けました!
ネタバレしますのでこれから見に行かれるかたは注意してくださいね。
後半も面白かった!
前半も思ったけれど、キャスティングがみんな原作から出てきたようで(二階堂除く)。
話も原作の大事なエピソードをピックアップして、うまくまとめて「桐山零成長物語」にしてありました。テンポもよくてよくできていたなあ。
原作が終わっていないので途中からは映画オリジナルストーリーですが、幸田父が香子に「お前は勝ってたんだ」と話すエピソードにじんときました。
最後は、零が川本家三姉妹から拒絶されたと思い込むところから自分で這い上がって、後藤に勝って、獅子王戦で清々しい顔で宗谷と戦う、というところで終わり。
後味がよくて、原作ものの実写版映画としては理想的な形なのかもなあと思いました。
そして、基本的には原作に忠実なこの作品ですけども。
一箇所だけ、これ敢えて変えてあるんだろうなあと思ったところがあって。ここがとても興味深かったです。
それは、妻子捨男(伊勢谷さん上手すぎます…)に対する川本三姉妹の態度。
零が妻子捨男を理詰めで追い詰めるところまでは原作と映画は同じ。
ですが、原作では零のその行動に川本家三姉妹(正確に言うと上ふたり)が感謝しています。
原作の川本姉妹は、父親がどうしようもない人だという現実と、最初からシビアな向き合い方をしてるんですよね。
けれど自分たちは血のつながった娘で。だからうっかりほだされてしまいそうになることを恐れてて。
なので第三者の桐山が情をはさまず彼女らの父親と対峙してくれたことに救われるんです。
原作の川本姉妹は、自分の父親が「自分たちを娘として愛してない」ことに彼が現れたときから非常に自覚的。
そういう人だと諦めがあって、…けれどやっぱり娘だから「父親が自分たちを愛してない」ことに傷つく。
わたしは、これってすごくリアルだよなあ…と思いながら原作のこのエピソードを読んでいました。
ただこれ、男性のなかにはなかなかキツい描写だと感じた人もいたかもなあとも思いました。
一方で映画の川本三姉妹は、原作より父親に幻想を抱いてるんですよね。
だから原作とは違って、父親に対して以上に、「零が父親を事実を理屈で問い詰めてること」に傷つく。
「あんな人でも私達のお父さんなんだよ」
脚本でそうひなちゃんに言わせたことに、そうきたか…!となりました。
これ、羽海野チカ先生はぜったいに描かないネームだと思うんですよ。(たぶん)
「どんな父親でも娘にとっては大切なお父さん」、それってなんてファンタジー。
と、わたしは思ったのですけども、一緒に見に行っていたオットは違和感がなかったというかむしろ原作よりすっと入ってきてたようなので(彼も原作既読)、ほお、と。
ここは女性視点(羽海野先生)と男性視点(大友監督)の違いなのかもなあ。
いやもしかしたら単に映画としてこっちのほうがわかりやすいという理由で変更したのかもしれないですけども。
実際にこのエピソードから、零は落ち込んで苦悩して葛藤してやがて立ち直る、というストーリーになってるわけですし。
いずれにしても、ここだけ敢えて大きく変えてるのが興味深いなあと思ったのでした。
原作既読でこの作品を見た方が、ここのエピソードの変更をどう感じているのか、ちょっぴり気になってたりします。
そういうふうに考えさせるところも含めて、面白かったです、映画「3月のライオン」。
エンドロール、藤原さくらちゃんの「春の歌」を聞いていて、本家スピッツの草野マサムネの声の「春の歌」を聞きたくなりました。
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映画「3月のライオン」後編感想。男女の違いなのかなこれは。
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